もしウズベキスタンに行けたら…(妄想)
シルクロードの中心地として栄えたウズベキスタン。
もし行けたら…沢山の人々が集い文化交流が行われていた街並み、建造物をゆっくりと見てみたいです。
そして実際にモスクの中に入り、お祈りをささげている人の迷惑にならないようひっそりと、天井や床、空気や音に耳を傾けて今日までの歴史をたどってみようと思います。
あのチンギス・ハンが美しすぎて破壊できなかったというブハラのミナレットも見に行きます。いざ自分の目で見ないと逸話の真相は分かりそうにありません。美しいというのは見た目だけではなく、そこに人の心を動かすなにかがあったのではないかとも思うのです。
様々な街並みや建造物を見た後は、お食事を楽しみます。
ウズベキスタンの料理はロシアやトルコ、西洋の文化が入り混じったまさに文化交流の証を表している料理が多いんだそうで…麺料理のラグマンや炊き込みご飯のプロフを食べてみたいです。
ただし…胃があまり強くないのでほどほどに。食物繊維も忘れずにご飯を楽しみます。
知らない世界に足を踏み出すと、興味とわくわくでいっぱいになる反面、改めて日本ってすごいなと思わせてくれますよね。
それでは…【たぶん行かない世界遺産】 ウズベキスタン編スタートです!
こんにちは!バターです。
たぶん行かない世界遺産 第1弾はウズベキスタンの旅。
先日、いちごくんがこんな提案をしてくれました。

いちごくん
バターちゃん!
世界で気になる国といえばウズベキスタンなんだけれど
実際に行けるかどうか分からないんだ…
だからぜひとも、バターちゃんの言葉でウズベキスタンの世界遺産をまとめてほしいな!
このいちごくんの鶴の一声でウズベキスタンに決定いたしました。
たしかに、ウズベキスタンってちょっと気になる。
でも実際、アジアとヨーロッパを結んでいる中心地ってこと位しかよくわかりません。
国やその周りの治安とか、観光面とか…遺産とか…。
遺産といってもどんな価値を持ち、今生きているわたしたちが後世に受け継いでいけば良いのだろうか…。
ウズベキスタン!知りたいことがたくさんあります。
今回は世界遺産検定1級に向けて、ウズベキスタンの世界遺産をバターの言葉で詳しくまとめていきたいと思います。
本サイトは世界遺産検定公式テキスト、ユネスコ世界遺産センターのHPを参考にさせていただきました。
国 説明

ウズベキスタンは世界でも2ヵ国しかない二重内陸国のひとつ。
2つの国境を超えないと海に出ることができません。(もうひとつの国は西ヨーロッパのリヒテンシュタイン)

バター
二重内陸国ってたった2ヵ国しかないんだ…
もっとたくさんありそうだけど!なんだか興味深い!

ウズベキスタンはかつてソビエト連邦を構成するひとつでしたが、1991年ソビエト連邦解体とともに独立を宣言。
今ではカザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギスと合わせて中央アジア5ヵ国として、引っ張っている国の1つになりました。
ウズベキスタンの治安について調べてみたところ、一部の地域を除いて比較的良いということでした。
遺産
シャフリサブズの歴史地区

登録年
2000年/2016年危機遺産登録
登録基準
(ⅲ)文明の証拠
シャフリサブズには中世の中央アジアで文化的、政治的に重要な意味を持つティムール帝国時代の遺産があること。
(ⅳ)建築・科学技術
シャフリサブズの建物、特にアク・サラーイ宮殿やティムール一族の霊廟は、この地域の建築に大きな影響を与えた
優れた例であること。
遺産説明
ウズベキスタン南部のシルクロード沿いにある2000年以上の歴史を持つシャフリサブズの歴史地区。
14世紀に一代で帝国を築き上げたティムールの生誕地です。
帝国最大の建造物で、ティムールの夏の居城であったアク・サラーイ宮殿や、ティムール一族の霊廟やモスク、宿泊施設を兼ね備えたドルサオダッドの建築群が存在していました。しかし、16世紀後半にブラハ・ハン国のアブドゥール・ハンに大半を破壊され、現在残るのは一部となっています。
また観光客向けの過度な再開発が行われ、2016年に危機遺産に登録されました。
試験問題 考察
〇シャフリサブズの歴史地区が2016年に危機遺産に登録された理由は次の内どれか。
1中東情勢の悪化により、継続的な保存が疑われているから。
2観光客向けの過度な再開発が行われ、遺産としての顕著な普遍的価値が薄れているから。
3建造物の老朽化により大胆な補修作業が求められており、歴史的景観が保存されない可能性があるから。
4世界遺産の登録基準が変更になった影響で、当遺産の登録も見直しが必要とされているから。
2観光客向けの過度な再開発が行われ、遺産としての顕著な普遍的価値が薄れているから。
ヒヴァのイチャン・カラ

登録年
1990年
登録基準
(ⅲ)文明の証拠
保存状態の良い都市群により、イチャン・カラはホラズムの失われた文明を並外れた証拠として残していること。
(ⅳ)建築・科学技術
イチャンカラの多くの遺産は、中央アジアの古代の伝統に従って建てられ、14世紀から19世紀にかけてのイスラム建築の発展を示していること。
(ⅴ)伝統的集落
伝統的な建築様式を持つヒヴァの建築は、中央アジアの人間の居住の重要な例を表していること。
遺産説明
ヒヴァはホラズム州に置かれカラクム砂漠の出入口に位置していたため、シルクロードを利用する人々のオアシスとして栄えていました。
16世紀初頭に成立したウズベク人の政権で、ブラハ・ハン国と覇権を争ったヒヴァ・ハン国が17世紀にこの地を首都としました。
イチャン・カラは「内城」という意味で、二重の城壁で守られています。この施設には51の古代記念碑的な建造物と250の住居があり、中央アジアで最大級の規模を誇ったムハンマド・アミン・ハーンのマドサラ、砂漠では貴重品である木材の柱を用いたジュマ・モスク、高さ約45mのイスラム・ホジャのミナレットなど数多くの歴史的建造物があります。
試験問題 考察
〇イチャン・カラとは現地ではどういう意味か。
1内城
2寝床
3浴場
4大壁
1内城
ブハラの歴史地区

登録年
1993年/2016年範囲変更
登録基準
(ⅱ)文化交流
ブハラは都市計画と建物の観点から、中央アジアの広い地域の都市の進化と計画に大きな影響を与えたこと。
(ⅳ)建築・科学技術
ブハラは、中世の中央アジアの町の最も完全で手付かずの例であり、今日まで都市構造を保存していること。
(ⅵ)出来事や宗教・芸術
9世紀から16世紀にかけて、ブハラはイスラム教神学の中心地であり、200以上のモスクと100以上のマドラサがあること。
遺産説明
ウズベキスタン南部のブハラは、中世中央アジアの面影を色濃く残す交易都市。
9~10世紀にかけてサーマーン朝の首都となり、その期間にアラビア文字を用いたペルシア語が発達しました。
1世紀頃からシルクロードの要衝として繁栄、8世紀初頭のアラブ人の侵入に伴いイスラム教化。
イスマーイール廟は10世紀初頭にサーマーン朝2代イスマーイールが父のために建てたもので、中央アジアに現存する最古のイスラム建築です。
共産主義のソ連時代は宗教を否定していたウズベキスタンだが、カラーン・モスクなどのブハラの貴重なイスラム建築や歴史的な街並みは保存されました。

バター
カラーン・モスクに付属するミナレット(塔)には、チンギス・ハンがその美しさのあまり破壊を思いとどまったという説もあるんだよ!
試験問題 考察
〇ブハラの歴史地区にある中央アジアに現存する最古のイスラム建築物は何か?
1フマユーン廟
2アクサライ廟
3ツクエイーナイ廟
4イスマーイール廟
4イスマーイール廟
文化交差路サマルカンド

登録年
2001年
登録基準
(ⅰ)人間の傑作
古代文化の交差点に位置するサマルカンドの建築と町並みは、イスラム文化の創造性の傑作であること。
(ⅱ)文化交流
レギスタン広場にあるサマルカンドの建築物は、地中海からインド亜大陸までの地域全体のイスラム建築の発展に重要な役割を果たしたこと。
(ⅳ)建築・科学技術
サマルカンドは、芸術、建築、都市構造において、13世紀から現在までの中央アジアの文化的および政治的歴史の最も重要な段階を示していること。
遺産説明
ウズベキスタン東部に位置するサマルカンドは、シルクロードのほぼ中央にあるオアシス都市でした。
「サマル」は「人々が出会う」、「カンド」には「街」という意味で、その名の通り世界各地の文化が交差する地点です。
8世紀にアラブ人の侵攻を受けてイスラム化が進み、イスラム世界の強国であるホラズム・シャー朝の首都となったが、13世紀にホラズム・シャー朝がチンギス・ハン率いるモンゴル軍によって滅亡。サマルカンドも壊滅。
当時のサマルカンドはアフラースィヤーブの丘にあり、その地下には何層にも重なる都市遺構が眠っています。
14世紀ティムールによってティムール朝の首都として再興。サマルカンドの街の中心はアフラースィヤーブの丘から現在のレギスタン広場に移りました。
ティムールは帝国中から職人や芸術家を集め、壮麗なモスクやマドサラ(イスラム教の神学校)を多数建設。
これらの建物には「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる青色のタイルが大量に使われたが、これはティムールが青色を好んだためでした。この美しさからサマルカンドは「青の都」と呼ばれるようになったのです。
後にシルクロードの重要性の低下などでサマルカンドは衰退。経済の中枢としての地位をブハラに譲ることになりました。
レギスタン広場には、広場を中心に
東側にウルグ・ベク・マドサラ
正面北側にティリャー・コリー・モスク・マドサラ
西側にシェル・ドル・マドサラ
の3つのマドサラが並びます
イスラム教のモスクとしては珍しく、シェル・ドル・マドサラには獅子や人面の太陽などが描かれています。
近くにはティムールと家族の霊廟であるグーリ・アミール廟や、ティムール朝4代君主のウルグ・ベクが築いたウルグ・ベク天文台が残ります。
試験問題 考察
〇文化交差路サマルカンドは、13世紀モンゴル軍によって破壊される以前はどこに位置していたか。
1ヌクスの谷
2モイナクの山間
3アフラースィヤーブの丘
4ザラフシャンの小村
3アフラースィヤーブの丘
世界遺産検定の勉強をして初めてここまで1つの国の事を詳しく調べることができました。行く予定はまだまだ無いけれど、頭の中ではだいぶ行った気になってしまいました。でも、もちろんいつか行ってみたい憧れのウズベキスタンです。
次回の【たぶん行かない世界遺産】は…カザフスタン!
位置的にはウズベキスタンの隣国ですが、ウズベキスタンでは味わえない文化や自然に触れることができそうです。
それでは次回の【たぶん行かない世界遺産】でお会いしましょう!