記事概要
- 村上春樹の『街とその不確かな壁』を読み終えた方
- 『街とその不確かな壁』の一解釈をもとに作品の理解を深められている

いちごバター
読書歴5年、2人で500冊以上読んできた本好き夫婦が、『街とその不確かな壁』の解釈が難解だったところについて、解釈をまとめていきます。
あくまで一読者としての感想・解釈ですが、作品をより深く楽しむきっかけとなれたらうれしいです。
『街とその不確かな壁』の基本情報

【出版年】
2023年 / 15作目の長編
【書籍構成】
| 順番 | タイトル | ページ数(文庫版) |
|---|---|---|
| 1 | 上 | 464ページ |
| 2 | 下 | 432ページ |
【ポジショニングマップ】
幻想的なシーンが多く、文学性が強い作品

(表の見方)
横軸:物語性⇔文学性
※大前提、村上春樹作品はすべての作品に文学性があります。その中で、どれだけ物語性があるかどうかを主観的に判断して位置を決めています。
縦軸:幻想的⇔現実的
※現実から逸脱した設定が多いほど、幻想的な作品として位置を決めています。
【補足】

1980年に文學界に掲載された中編『街と、その不確かな壁』は、村上さん曰く納得のいく作品とならなかったため、書籍化されませんでした。
その作品への一つの対応として、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』が1985年に出版されています。
しかし著者の中には、あの物語に対してはまだ別の向き合い方があるのではないかという思いが、長く残り続けていたといいます。
そして2020年、新たに筆を執り直して完成させたのが、本作『街とその不確かな壁』です。
かつての未完の物語に、40年の時を経て改めて向き合い直した“もうひとつの答え”ともいえる作品です。
ーーあとがきより
街とその不確かな壁 解釈
街と壁
【街】=無意識の世界
【壁】=無意識の世界の囲い

私は、現実世界を「意識の世界」、壁に囲まれた街を「無意識の世界」と解釈しました。
イエロー・サブマリンの少年の兄である医学生は、街を囲む壁を「あなたという人間を形づくる意識」だと語ります。
意識は氷山の一角のように水面上に見えている部分にすぎず、その下には広大な無意識が沈んでいるという比喩です。
つまり、人は目に見える意識と、普段は自覚できない無意識の両方を抱えて生きているということが示唆されています。
壁は、無意識の世界を囲いんでおく役割があり、時々刻々と変容するものだと思いました。
そして“夢”は、その意識と無意識の境界に位置するものではないかと感じました。
「君」は夢の世界を丁寧に記録し、「僕」と共有したことで、二人のあいだに一つの”無意識の世界”を立ち上げます。
その結果、「僕」は実際にその世界へと足を踏み入れることができるようになります。
無意識の世界では、意識を象徴するもの——影、時間、名前といった要素——は徹底して排除されています。
夢読みと単角獣と雪
【夢読み】=無意識の世界にストックされた古い夢を浄化させる役割
【単角獣】=意識の世界と無意識の世界を行き来する自我やこころ
【雪】=”無意識の世界”のバランスを保つ役割

夢は無意識の世界で発生し、目覚めた瞬間は一瞬意識下に顔を出しますが、気づいた時には”無意識の世界”に貯蔵されています(=忘れています)。
そんな貯蔵された旧い夢を無意識の世界から浄化する役割を持っているのが、”夢読み”だと思いました。
また、単角獣は毎日門を出入りしており、冬が来ると弱い個体は死にます。
これは意識の世界と無意識の世界を行き来する自我やこころの比喩だと思いました。
自我やこころは、意識の世界から無意識の世界にやってきて、無意識の世界に留まり続けるもの、一時的に留まるもの、消えゆくものに選り分けられています。
また、無意識の世界では”雪”がかなり象徴的に描かれています。
雪は単角獣を殺す役割を持っており、“無意識の世界”のバランスを保つ(自我やこころの量を調節する)役割を担っていると考えられます。
君
【君】=無意識の世界を認識できる特別な存在

人はふつう、自分の「無意識の世界」をはっきりとは認識できません。
しかし「君」は、その無意識の世界を自覚できる特別な存在だったのだと思います。
だからこそ彼女は、無意識の側にいる自分こそが本体であり、意識の世界にいる自分は“影”にすぎないという感覚を抱いていました。
そして十七歳の「僕」とともに無意識の世界を精密に思い描き、共有したことで、二人はその世界を現実のように立ち上げることができたのだと考えられます。
やがて「君」が突然姿を消したのは、のちに描かれるイエロー・サブマリンの少年のように、無意識の世界へと深く籠ってしまったからではないでしょうか。
君を喪失した「僕」は、その後に出会う女性たちと意識の世界では愛し合うことができました。
しかし無意識の深いところでは、君への恋を抱え続け、二人で築いた世界は消えずに広がり続けていました。
そしてついに「僕」自身も、その無意識の世界を訪れることになるのだと思います。
イエロー・サブマリンの少年
【イエロー・サブマリンの少年】=夢読みの後継であり、私が”無意識の世界”から抜け出すきっかけを作る存在

イエロー・サブマリンの少年は、現実の世界(意識の存在)よりも”無意識の世界”に親和的な存在として描かれています。
そのため彼は、無意識の世界に親和的であった「私」や子易さんに強い関心を抱きます。
そして、私が子易さんの墓に語った断片的な“街”の話を手がかりに、自力で街の地図を完成させてしまいます。
その結果、彼もまた無意識の世界へ入ることが可能になったのだと考えられます。
彼にとってイエロー・サブマリンのヨットパーカーは、単なる衣服ではなく、無意識とつながる身体の一部のような存在になっています。
(子易さんにとってのハンチング帽やスカートも同義と考えられます。)
やがて彼は、壁の内側で私から〈夢読み〉の役割を引き継ぐことになります。
その際、彼が私の耳を噛み一体化を求める場面がありますが、その儀式が何かのメタファーなのかまでは分かりません。
ただ、私と一体化することは、門を潜り抜けていない彼が夢読みになるための唯一の手段であったことは間違いありません。
最終的にイエロー・サブマリンの少年が夢読みを引き継いだことにより、私が長年囚われていた“無意識の世界”を抜け出すことに繋がっています。
子易さん
【子易さん】=イエロー・サブマリンの少年の行く末を見守るため、死後も無意識の世界でとどまり続けた存在

子易さんは、私が働く図書館の元館長であり、物語の時点ではすでに一年前に亡くなっています。
作中では幽霊のような存在として現れ、しかも“影がない”ことが示されています。
つまり、肉体や意識が消えても、魂のようなものは”無意識の世界”にとどまり続ける可能性が示唆されていると思います。
そして彼の魂の目的は、イエロー・サブマリンの少年の行く末を見守ることだったように思えます。
少年が自らの意志で道を選び取れる段階に至ると、子易さんは姿を見せなくなります。
また、添田さんは、子易さんが幽霊になってからのほうが楽しそうに見えた、と語ります。
もしそうだとすれば、息子と妻の喪失という重荷に強く縛られていた”意識の世界”から解放され、〈今〉が重視される”無意識の世界”においては、ようやく肩の荷を下ろすことができたことが示唆されているのかもしれません。
名もなきカフェの女性店員
【名も無きカフェの女性店員】=私を”無意識の世界”から克服させる存在

私と名もなきカフェの女性店員は、少しずつ距離を縮めていきます。
彼女は「セックスができない」こと、そしてオール・イン・ワンの下着で身体をぴったりと包み込んでいることが印象的に描かれています。
それは単なる身体的特徴というよりも、彼女の深層——つまり無意識の領域に、他者が容易に踏み込めない状態を象徴しているように思えました。
彼女は自らを固く守り、誰にも侵入させない存在なのです。
そんな彼女に対して、私は「待つ」と宣言します。
これは、それまでの私が女性に向けてきた態度とは明らかに異なるものであり、その変化こそが、無意識の世界にとどまり続けていた「君」への執着と別れを告げる契機になったのではないでしょうか。
私は再び壁に囲まれた世界を訪れ、イエロー・サブマリンの少年に夢読みを託し、「君」にさよならを告げます。
そして物語は、私が”意識の世界”へと戻るところで終わります。
彼女の存在によって、私はようやく無意識の世界に閉じ込められた自分を乗り越え、現実へと帰還することができたのだと考えました。
