対象者
  • 村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を読み終えた方
目的
  • 『ダンス・ダンス・ダンス』の一考察をもとに作品の理解が深められている

いちごバター

読書歴6年、村上春樹の長編作品をすべて読んだ夫婦が、『ダンス・ダンス・ダンス』の難解な部分について、私たちなりの解釈をまとめていきます。

あくまで一読者としての感想・解釈ですが、作品をより深く楽しむきっかけになれたらうれしいです。

ダンス・ダンス・ダンスの基本情報

【刊行年】

1988年 / 6作目

【書籍構成(青春三部作→ダンス・ダンス・ダンス)】

順番タイトルページ数(文庫版)
1風の歌を聴け160ページ
21973年のピンボール183ページ
3羊をめぐる冒険(上)268ページ
4羊をめぐる冒険(下)257ページ
5ダンス・ダンス・ダンス(上)415ページ
6ダンス・ダンス・ダンス(下)408ページ

【ポジショニングマップ】

幻想的なシーンが多く、物語性が強い作品

(表の見方)

横軸:物語性⇔文学性

※大前提、村上春樹作品はすべての作品に文学性があります。その中で、どれだけ物語性があるかどうかを主観的に判断して位置を決めています。

縦軸:幻想的⇔現実的

※現実から逸脱した設定が多いほど、幻想的な作品として位置を決めています。

ダンス・ダンス・ダンスの考察

作品の主題

他者との現実的なつながりを取り戻す

この作品の主題は、「他者との現実的なつながりを取り戻す」ことだと考えています。

『羊をめぐる冒険』から4年、「僕」は真の意味での友情や性愛を失い、文化的雪かきのような仕事をこなす日々を過ごしています。

そのうちに自分が求めるつながりも分からなくなり、他者と現実的につながることができなくなりました。

そのことは、かつてのガールフレンドから月面の絵葉書が届くことにも表れていると考えられます。

現実社会に足場を持たず、地に足のつかない状態にある「僕」の姿が示唆されているのではないでしょうか。

やがて「僕」は、夢に現れるキキに導かれ、ドルフィン・ホテル(旧いるかホテル)へと向かい、そこで羊男と再会します。

こうして、「僕」が他者との現実的なつながりを取り戻すための冒険が始まります。

そして、その冒険の中で出会うのが、同じように他者とのつながりに困難を抱える、ドルフィンホテルのフロントマン・ユミヨシさん、中学時代の同級生・五反田君、13歳の少女・ユキです。

羊男 / キキ / メイ / ジューン / ディック・ノース

人物役割
羊男つながりの整理
メイ過去の友情関係
キキ過去の性愛関係
ジューン人から与えられた関係
ディック・ノース現在の欠かせない関係

「僕」が他者とのつながりを取り戻すうえで、羊男、メイ、キキ、ジューン、ディック・ノースが象徴的な役割を果たしていると考えています。


まず羊男は、ドルフィン・ホテルの真っ暗闇のフロアで「僕」を待ち、「ここでのおいらの役目は繋げることだよ。ほら、配電盤みたいにね」と語ります。

この言葉から、羊男は過去も未来も含め、「僕」と他者とのつながりを整理する役割を担っていると考えられます。


続いてメイは、「僕」と五反田君の両方と性的関係を持つ人物として描かれます。

僕とメイが関係を持った際、「僕」は「なんだか同窓会みたいだ」としきりに口にし、かつてのつながりを楽しんでいます。

このことから、メイは「過去の友情関係」を象徴していると考えられます。


一方、キキは「僕」と同棲した経験があり、五反田君とも性的関係を持ちながら、すでに姿を消してしまった人物です。

二人がともにキキに性愛的な魅力を感じていたことから、キキは「過去の性愛関係」を象徴していると思われます。


続いてジューンは、牧村拓から「僕」に贈られたコールガールとして登場します。

このことから、ジューンは自分の意思で築いた関係ではない「人から与えられた関係」を象徴していると考えられます。


最後にディック・ノースは、ユキの母親であるアメの交際相手として登場します。

彼の死によってアメの生活は一瞬にして崩壊しました。

このことから、ディック・ノースは、失われることで生活の基盤が揺らぐ「現在の欠かせない関係」を象徴していると考えられます。


これらの象徴的な人物たちを通して、僕、ユミヨシさん、五反田君、ユキは他者との関係を結び直していくのです。

僕

過去の友情・性愛関係に区切りをつけ、現実的なつながりを取り戻す人物

「僕」は、過去の友情や性愛関係に区切りをつけ、現実的なつながりを取り戻す人物だと考えています。


「僕」は羊男との再会をきっかけに、自分がそもそもどのようなつながりを求めているのかを考え始めます。

これが、他者との現実的なつながりを取り戻すための冒険の始まりでした。


まず「僕」は、キキを探すため、映画『片思い』でキキと共演していた中学時代の同級生・五反田君と再会します。

その五反田君が呼び寄せたコールガールの一人がメイでした。

「僕」は彼女との交わりを「同窓会」のように楽しみましたが、やがてメイは何者かに絞殺されてしまいます。

この出来事は、過去の友情の死を象徴していると考えられます。

ここでいう過去の友情とは、今は亡き鼠との友情です。

「僕」はメイの死を通じて、鼠との過去の友情に区切りをつけ、それを乗り越えていくのではないでしょうか。


続いて「僕」は、ハワイで牧村拓から与えられたコールガール・ジューンと関係を持ちます。

しかし、ユキに叱責されて以降、そうした関係を避けるようになります。

このことから、「僕」は他者から与えられる受動的なつながりを拒み、自分自身の意思で関係を築こうとするようになったと考えられます。


そして「僕」は、ユキの母親・アメの交際相手であるディック・ノースの死にも直面します。

彼の死によってアメの生活が一瞬にして崩壊する様子を目の当たりにしたことで、「僕」は現在の生活において欠かせない他者とのつながりについて考えるようになります。

その結果、「僕」はユミヨシさんとのつながりを求める自分の気持ちを自覚します。

そしてドルフィン・ホテルに戻り、ユミヨシさんと現実的なつながりを結ぶに至ります。


最後に「僕」は、夢のような場所でキキと再会します。

しかし、キキはやがて姿を消してしまいます。

この結末は、「僕」が過去の性愛関係を乗り越えたことを象徴していると考えられます。

キキとの再会と別れを経て、元妻との関係を含む過去の性愛に真の意味で区切りをつけ、ユミヨシさんとのつながりに向き合うようになります。

同様に、羊男も姿を消します。

これは、羊男が担っていた「僕」と他者とのつながりを整理する役割が終わったことを意味していると考えられます。

こうして過去の関係に区切りをつけた「僕」は、自らが求める他者との現実的なつながりを取り戻したのではないでしょうか。

ユミヨシさん

「僕」と現実的につながる人物

ユミヨシさんは、「僕」と現実的につながる人物だと考えています。


ユミヨシさんは、「僕」がドルフィン・ホテルに来る前に、暗がりのいるかホテルに迷い込んでいます。

この出来事は、ユミヨシさん自身も「僕」と同様に、他者とのつながりを整理する過程に組み込まれていることを示唆しているのではないでしょうか。

その後、「僕」はユミヨシさんとホテルの外で食事をします。

そこで彼女自身も上京後に職場で傷つき、他者との関係に奥手になっていることが明らかになります。

食事の後、彼女を自宅に送り届けた際、二人は性的関係を結びそうになります。

しかし、「僕」は直感的に、今ではないと感じます。

これは、過去のつながりを整理できていない状態で彼女と関係を結んでも、かつてのガールフレンドとの関係のように、現実に根を下ろさないものになってしまうと感じたのだと思います。


そして「僕」は、一連の冒険を経て、心からユミヨシさんとつながりたいと願うようになります。

そこで初めて、「それは決まっていることなんだよ」という言葉とともに、彼女と性的関係を結びます。

この結末は、「僕」が過去の関係に区切りをつけたうえで、自らの意思で他者とのつながりを選び取ったことを象徴していると考えられます。

また、ユミヨシさん自身も、「僕」の夢の中でいるかホテルの部屋に現れ、やがて姿を消します。

これは、「僕」の中から羊男が消えたことと同様に、ユミヨシさんにとっても他者とのつながりを整理する過程が完了したことを示唆しているのではないでしょうか。

五反田君

過去のつながりに執着し続け、自己破滅に至る人物

五反田君は、過去のつながりに執着し続け、自己破滅した人物だと考えています。


彼は元妻を愛していましたが、彼女の家族や、周囲の環境に染め上げられた彼女の思想が原因で、離婚に追い込まれてしまいました。

さらに、その際の慰謝料などで事務所に借金を抱えたことで、くだらない仕事を続けざるを得ない状況でした。

しかし、仕事を辞めることは、環境に染め上げられた元妻とのつながりを失うことに繋がってしまいます。

五反田君は、愛する元妻とのつながりを捨てられず、袋小路に迷い込んでいる状態でした。


その状況下で、五反田君はキキを絞殺し、地面に埋めます。

この行為は、過去の性愛、つまり元妻との関係を現実につなぎ留めようとする試みだったと考えられます。

その後も五反田君はモーテルやラブホテルで妻との逢瀬を重ねますが、それはいつまでも続くものではなく、どこにもたどり着かない関係でした。


そして、メイの死は、五反田君の中で育まれつつあった「僕」との友情、すなわち過去の友情が終わりを迎えることを暗示していると考えられます。

その暗示のとおり、五反田君は最後に「僕」と会話を交わした後、マセラティで芝浦の海へ突っ込んでしまいます。

この結末は、過去のつながりを手放せず、現実との乖離に苦しみ続けた五反田君が、最後には自らの命を絶つことで、その苦しみから逃れようとしたことを示していると考えられます。

ユキ

受動的なつながりから脱し、能動的に人とつながるに至る人物

ユキは、受動的なつながりから脱し、能動的に人とつながるに至る人物です。


ユキは、一つのことに集中すると周囲が見えなくなってしまう母・アメと、拝金主義の父・牧村拓の娘で、両親とは適切な親子関係を築けていません。

また、特殊な感性を持つことから学校でも周囲になじめず、不登校の状態にあります。

まだ13歳のユキは、こうした過酷な状況の中で、人とつながることの意味を十分に理解できずにいたのではないでしょうか。


そんなユキは、「僕」との関係を通じて、少しずつ他者とのつながりを学んでいきます。

まず、「僕」がコールガールのジューンと関係を持った翌日、ユキは激しく怒り、「僕」を断罪します。

これは、彼女が苦しんできた、人から与えられる関係、すなわち受動的なつながりに対する嫌悪を明確にした場面だと考えられます。


続いて、母・アメの交際相手であるディック・ノースの死に直面し、「もっと親切にすればよかった」と語っています。

この言葉からは、今そばにいるかけがえのない他者との関係を、失う前に大切にすることの重要性に気づいた様子がうかがえます。

その後、ユキはディック・ノースを失った母・アメのそばにいようとします。


そして物語の終盤、ユキは自分から学びたいと望み、父に家庭教師をつけてほしいと頼みます。

さらに、「僕」と最後に会う場面では、ユキは人と会う約束を取りつけている様子でした。

これは、これまでの受動的な関係に悲観するのではなく、自らの意思で他者とつながり、そのつながりを大切にしようとする姿勢の芽生えであると思われます。

その他

6つの骸骨は誰であったか?

作中で判明しているのは、これまでの冒険で命を落とした、鼠、キキ、メイ、五反田君、ディック・ノースであり、6体目について明示されていません。

6体目は、「僕」が現実的なつながりを取り戻すことで消えた存在を象徴していると考えます。

つまり、羊男であり、意識下のキキであり、いるかホテルで消えたユミヨシさんであり、その総体のことです。

「かっこう」とは?

この掛け声は、僕とメイが楽しいひと時を過ごしているときに初めて登場するセリフであり、その後何度も繰り返されるセリフです。

これは、表面的なものとその裏にあるものがずれている時の掛け声であると解釈しました。

例えば、僕とメイは確かに楽しい時間を過ごしているけれど、本当の意味でつながっているわけではないこと。

五反田君の死やユキとの別れによって喪失感を抱えながらも、過去のつながりに区切りがつきユミヨシさんとの新たなつながりに期待していること。

このように、表の感情と裏の感情がずれているときに発される言葉であると思いました。

かっこうという鳥は、「托卵」の性質を持ち、別種の鳥に育てられているというずれを持つ鳥ですしね。

関連商品・記事